絵に自分をなぞらえる

オバラです。昨日のオズフェスタは快晴でお祭り日和、遊びに来てくださった皆様ありがとうございました。偶然に駅を利用した元生徒達も声を掛けてくれて、懐かしい会話をしました。何人かから言われた言葉が「昔より、子どもの作品のクオリティーが上がってる気がする…」「同じカリキュラムを自分もやったけど、こんなに上手じゃなかったような?」でした。すみません!その通りです!今の子の方が断然完成度が高いです!子どもの出来は同じです。単に私の教え方が下手だっただけ。同じカリキュラムでも、ベテランの先生と新米の先生では理解させる能力差で作品に優劣が出てしまうことがよーく分かる事例です。しかも31年間、月謝を値上げしていないので(消費税が加わり高くなったように感じるだけ)、昔の生徒さんは損をしているかも!?
いや、してない!断言!若かった私はパワフルで生徒も少なかったから、外で秘密基地作ったり、粘土投げて教室中ぶちまけたり、夜に肝試しや花見や宝探しもしたし、授業中に白玉団子作って食べたり、巨大な共同制作、遠足もしょっちゅう行ってた。という訳で、どっちもどっちと許してください。

左 波那 高2 / 右 瑞希 中3  岩絵具・和紙・パネル

左の作品からご紹介。充電時間が長く必要な波那、アトリエに来てものんびりおっとりしています。そんな人柄が出ているかのようなハブとマングース。手に汗握る生死を賭けた戦いのはずが、どこか滑稽で客観的に見えます。題名の『苦戦』も現在の自分自身の人生を表しているのでしょうが他人事。
アトリエに入会して11年、ちょっと心配なので(ハナの事も、11年もアトリエに通ってこのレベル?と私の評判が落ちるのも)、出し惜しみせずたまには本気を見せてください。
(まぁでもフルチャージすると、人よりハイパワーが出せる奥の手を持っているんだよね。だから許します。)

右の文字が入った日本画。『日進月歩』は最近ですと、変化の速さを強調する際に使うことが多いように感じていますが、この絵からは「知識を増やし、期待される以上のスピードで前進したい」といった自分への発破、座右の銘とでも言いましょうか、そんな意思を感じます。のろまの代名詞となっている亀が荒々しい波にも負けず天を見上げ、日本一の山・富士山を目指す、なんと力強くたくましい絵なんでしょう!「努力次第で誰でも天下が取れる!」と言われているようで、弱気になった時に見たい絵として、私は一生覚えておきたい!

自然の中の生き物

花穂 高3 岩絵具/和紙・パネル

大志です!

画面に広がるのは、深い海のような青紫の世界。その中を悠然と泳ぐシャチの姿が、ひときわ鮮やかに浮かび上がります。光を帯びた岩絵具の粒子が揺らめく水面や海中の反射を思わせ、静かなはずの画面からも波の音や水の流れが聞こえてくるようです。
シャチの濃紺の体は堂々とした重みを感じさせながら、白や緑の光を映して柔らかく輝いています。その対比によって、力強さと神秘的な透明感が同時に伝わってくるのが印象的ですね。まるで水の奥深くで出会った一瞬の奇跡を捉えたかのようです。
さらに心を惹かれるのは、背景に広がる色彩の重なりです。青や紫、緑が溶け合いながら層を成し、海の奥行きを表現しています。重厚でありながら光の粒がきらめくことで、画面全体に生命のリズムが生まれているように感じます。

明美 高1 岩絵具/和紙・パネル


一瞬の緊張感を切り取ったかのように、画面には魚をくわえたカワセミの姿が描かれています。羽ばたきの勢いと水面のきらめきが重なり合い、まるで今にも飛び出してきそうな迫力がありますね。
宝石に例えられる翡翠色の羽は光を受けて輝き、青や緑、赤の色彩が生き生きと調和しています。岩絵具ならではのざらりとした質感が羽根の立体感を際立たせ、細部にまで命が宿っているのを感じます。
この作品は、ただの自然描写にとどまらず、生命の輝きと自然の調和を凝縮したような、彼女の慈しみの心を感じる一枚です。眺めていると、自分も水辺に立ち会い、その羽音や光の揺らぎを間近で感じているような臨場感に包まれました!

同じ紺色でも

まなは 高1 岩絵具/和紙・パネル

大竹です。最近は涼しさとともに日が暮れるのも早くなり、1日が短く感じられるようになりましたね。
さて、今回ご紹介するのは、学生2人による日本画作品です。

まずは、高校1年生・マナハの作品「水辺に浮かぶ紫陽花」。
中学生の頃から戦略的に制作に取り組んできた彼女ですが、今回もその緻密な計算と技術が光ります。暗い水面に浮かぶ紫陽花は、柔らかく光を受けて静かにたたずみ、画面に強い明暗のコントラストを生み出しています。
よく見ると、顔を出している花だけでなく、水底へと沈んでいく花の姿も描かれており、手前から奥へと段階的に沈んでいく配置がリズム感をもたらしています。紫陽花はモチーフとして魅力的である一方、小花が密集しているため、細部の描写が非常に難しいものです。ひとつの大きな塊としての存在感と、花びら同士の重なりを両立させる必要がありますが、マナハはこの点も見事に捉えています。
あえて指摘するなら、画面中央がやや空いている印象もあります。紫陽花の配置を工夫するか、水面に映る光の反射をもう少し広げても良かったかもしれませんね。

心寧 中3 岩絵具/和紙・パネル

そしてこちらは、中学3年生・心寧の作品です。
冬の花である山茶花が描かれています。花びらの繊細な線を一枚一枚丁寧に追いかけることで、その薄さや揺らぎが的確に表現されていますね。
画面の半分を占める紺色の背景は、単なる余白ではなく、岩絵具そのものの質感を楽しめる空間として存在しています。山茶花の赤、葉の緑、背景の紺というシンプルな色の組み合わせは、図形的な美しさを感じさせ、どこか着物の柄を思わせる趣もあります。
また、この作品からは少し緊張感のある、おどろおどろしい雰囲気も伝わってきます。先程のマナハと同じ紺色の背景ながら、その印象の違いは、作者の中学3年生という受験を控えた時期の心境とも重なっているからなのでしょうか。まさに「今だからこそ描ける一枚」となっているように思います。
まだデッサンに未熟な部分も見られますが、目の前のモチーフに真摯に向き合おうとする姿勢がしっかりと感じられる作品です。

平面性を重んじる

咲希 中3 岩絵具/和紙・パネル

マユカです。本日は二人の学生の作品をご紹介して行きたいと思います。

まずはサキの作品から。藤の花のカーテンから白蛇が体を伸ばし、月の光に照らされています。蝶は偶然出会ったのか、はたまた友達だったのか。蛇の蝶をまっすぐ見つめる瞳は見ている私たちの想像力を掻き立てるような表情をしています。
サキの作品は遠近感が特に強調されて描かれています。例えば藤の花は明るさの違う絵の具を使い、手前の花と奥の花とでどう光が当たっているのか、どこが逆光になっているのかを描き分けることで空間に奥行きが生まれています。蛇はよくみると鱗の一つ一つまで細かく描かれており、その繊細さが画面越しにも伝わってくるほどでありながら、横向きの体はベッタリと平面的で立体感は削除し、日本画らしい画面作りになっています。

文美 中2 岩絵具/和紙・パネル

次にフミの作品です。ふんわりと咲いた桜と、開花を待つ蕾、早く咲いてしまい散っていく花びら…春真っ盛りの時期を想起させるような、そんな画面構成がされています。つぼみ、花が咲く、散る…という一連の工程が一枚のうちに収まっているので、時間経過が映像のように頭に浮かびます。また、この繊細な桃色を引き立てているのが背景の澄み渡るような青空。ただ青一色で塗られていないのがわかるでしょうか?よく目を凝らして見ていただけると、じんわりと紫に寄った青や黄緑、薄くピンクも重ねられています。空は青いものであるという固定概念があるとなかなか他の色を乗せるのにはためらってしまいがちですが、こうして様々な色を重ねていくことで深みが増し、何もない平面の空を見た時の満足感が何段も高くなります。

どちらもはかなき命を愛でる日本画のテーマを感じられるような仕上がりになっており、色彩の差で魅力を引き立て合っているようにも見えてきます。繊細な描き方ができる二人だからこそ、出せる雰囲気でしょう。

モチーフに宿る思い

左 陽南 高1 / 右 実栗 高2  岩絵具・和紙・パネル

ナツメです。エアコンをつけずに眠り、暑さに起きるこの頃です。本日は学生クラスより2名の日本画をご紹介します!

まずはモダンな雰囲気が漂う陽南の作品。吊るし雛を描きました。色とりどりの人形たちが画面いっぱいに連なり、とても華やかですね!吊るし雛は細工ごとに「健康に育ちますように」「幸せになりますように」などとといった意味や願いが込められているそうで、細工の一つ一つを丁寧に描いていることが、そのまま吊るし雛の「一つ一つに願いが込められている」という特徴と重なって見え、絵そのものが祈りや思いを映し出しているように感じられます。

また、構図の工夫も見どころです。真横からの視点で連なっている様子が強調され、上下左右の切り取り方によって画面の外にもさらに人形が続いているような広がりを感じさせます。

続いて右の実栗の作品。気品にあふれた孔雀の姿が画面いっぱいに堂々と描かれています。古くから孔雀は「吉祥」や「美の象徴」とされ、また羽根の模様に邪を払う力があるとも言われます。そのような意味を知ると、この絵の華やかさの中により一層の祝福や清らかさを感じられるように思います。

特に目を引くのは羽の描き込みで、一枚一枚の模様をよく観察しながら描き分けており、胴体の青にも濃淡を重ねるなど思わず近寄ってじっくり見たくなるほどの緻密さです。一方で、周りの花や背景は必要以上に描き込みすぎず、あえてシンプルに留めており、描き込みの密度をコントロールすることで画面全体のバランスが見事に保たれています。

それぞれまったく異なる題材ですが、モチーフに込められた意味と作品の描写が重なり合うことで一層魅力が高まっています。何をどう描くかという選択が作品に深みや説得力を与えることを改めて感じさせてくれる作品たちです。

観察と想像から生まれた表現

菜希 中2 岩絵具/和紙・パネル

お久しぶりです、サヤカです。今回は学生クラスの日本画をご紹介します。

まず菜希の作品をご紹介します。落ち着いた雰囲気の夜桜を描きました。月の姿は描いていませんが、中心に向かって明るくなっていくグラデーションの様子が月明かりのようで神秘的。明るい薄紅色が映えるように、空の明度をかなり低く抑えました。また、枝を暗く描くことで、逆光のような演出をし、より月の存在を感じさせます。
一枚一枚丁寧に描かれた花びらから観察力を感じます。シンプルな構成ですが、大胆に中心を余白にし、奥行きのある作品になっていますね。

彩希 中2 岩絵具/和紙・パネル

次は彩希の作品です。鮮やかな色使いが目を惹きます。厚く盛られた岩絵具が、花びらに豊かな質感を与え、まるでそこに本物の花が飾られているかのような存在感を生み出しました。全てが暖色の中、ほぼ無彩色にした葉の部分がスパイスとして効いていますが、花よりむしろ葉の重なりや奥行きが丁寧に表現されているようにも感じます。
左から伸びた手も想像力を掻き立てますね。花に触れようとしているのか、それとも何かを訴えかけているのか…不思議な魅力を持つ手、皆さんはどのように解釈されるでしょうか?

二人とも花をモチーフに描きましたが、桜の侘び寂びと、チューリップの華やぎが対照的で、静と動、寒色と暖色、花に対するイメージの違いが面白いです。これからも二人の作品を楽しみにしています!

絵の裏側を読む

左 杏和 高1 / 右 真大 中1  岩絵具・和紙・パネル

オバラです。久し振りに小学生以外の講評を書きます。
杏和 実際にいる動物か、絶滅した動物か、はたまた杏和が生み出した架空の動物なのか?洞窟のような岩場の中で背中を丸めペタンと座る生き物は、どこかユーモラス。
とは言え、不安げな眼差しから、雪舟『慧可断臂図(えかだんぴず)』の達磨大師を彷彿とさせます。達磨からなかなか弟子入りを許されなかった慧可が、自分の覚悟を伝えるために自らの肘を切って達磨に差出し、入門を許されたという逸話を描いたものです。
達磨もこの生物も一見コミカルですが張りつめた緊張感が漂います。取り巻く環境(絵のフレーム外に起っている事柄)の過酷さを想像してしまいました。
心情を表すように何度も色を重ねた主役に対し、平坦な塗り方の黒に荒々しく雑な黄土、この描き込みの差こそ、題材の奥深さを支えるテクニックなのです。

真大 一般的な中学生に好まれる繊細でリアルな画風に馴染むことなく、毎回オリジナリティーを貫いている真大。輪郭はまるで黒色のマーカーペンを滑らせたように均一な太さで描かれています。このとぼけたような印象を持つ絵に惹きつけられる理由、それは一体何なのか?
答えは不思議な構図にあります。俯瞰だったり真正面だったり、1枚の絵に幾つもの視点があるのです。もう一つは、立体感をことごとく無視し、単純化した形のリズムの面白さ。おかしな箇所があるのにそれが魅力になるとは羨ましい話ですが、細部にとらわれず全体像を捉え、複雑なものを理解し再構成する思考力がなければできません。バランスや構造の本質を見抜く洞察力が必要なのです。

それぞれの月明かり

サヤカです。金曜日のヒトミ先生に続き、鳥類を描いた学生の日本画をご紹介します。二人とも満月の夜と桜、鳥というモチーフを選びました。

千歳 高1 岩絵具/和紙・パネル

メジロの鮮やかなカラーリングが、紺から紫のグラデーションの落ち着いた夜空によく映えています。メジロを画面の中央に配置する構図によって、主役がわかりやすく視線が集中しますね。
構図自体はシンプルですが、メジロの繊細な羽毛の表現(何週間も掛けて一筆一筆増毛してゆく、根気のある仕事振りでした)や、満月のクレーターの質感、花の複雑な色味など細部への描き込みが非常に丁寧なため、画面全体に高い密度と完成度を感じさせます。最後に星屑のような金粉を散らし、見応えのある作品になりました。

百合子 高2 岩絵具/和紙・パネル

こちらをまっすぐと見つめるフクロウの目元が印象的な一枚です。千歳の作品とは対照的に、フクロウを右寄りに左側に満月を配置すること、散り際の桜の流動感で画面に動きと空間の広がりを持たせようとしましたが、フクロウと月が似た色味・同じような面積になってしまった為、単調に感じられます。(桜も全てまとめると近い面積になります。)美術系を目指す百合子ですので厳しいことを書いてしまいますが、月明かりに照らされたフクロウの光と影・立体感、散っている花びら、見切れている満月など、本当にこの位置に、この大きさで、この描き込みがベストなのか、画面構成をよく考えてから描く癖をつけて欲しいと思います。

二人とも、「月夜」と「花」、「鳥」という共通のモチーフを用いていて、並べてみるとシリーズもののような統一感があり面白いです。観察力や技術力をますます鍛えて、大人の鑑賞に堪えうる作品になるよう頑張って欲しいものです。成長を楽しみにしています!

羽毛の表現

左 空 中2 / 右 紗奈 中1  岩絵具・和紙・パネル

ひとみです。本日は鳥類を日本画で描いた中学生の作品を紹介します。

空は桜の枝にとまる梟を描いています。最初は梟の羽模様を描くことに苦戦していましたが、赤や黄色、黄土色そして黒を少し、と様々な色を重ねることでふわっとしつつ梟の特徴であるリズミカルな模様を描くことができました。
背景は真っ暗な夜空から下の方にかけて鮮やかなブルーをグラデーションし、桜を惹き立てる為の華やかさをプラスしています。また薄い水色で月明かりを表現することにこだわり、月光の静けさや妖艶さで梟と対比させました。
梟といえば夜行性。背景の深い闇が、ギラッと輝く目の黄色とのコントラストになり、緊張感を生みました。獲物を逃さぬよう息を潜める野生を想起させます。この鋭い眼差しこそが一番の魅力であり見どころです。

続いて紗奈は松に止まる鶴を描いています。空と同じく鶴の羽を描くのに苦戦していました。そこで画面としてのまとまりを意識し、羽毛に使う色を背景と同じ黄土色一色にしました。色数を減らすという選択は、羽根らしさは出辛くなりますが、モダンな印象になるものです。鶴と松という古くから使われた組み合わせで荘厳な雰囲気を醸し出しつつ、デザイン性をも欲張りました。
首を伸ばし鳴く縦の動きを中央に持ってくる構図は、鶴の存在感を強く印象付けるのに適していますが、単調になりやすいため、松との対比で画面全体にリズムを生み出します。また頭部の赤を背景の松の緑とぶつけ、補色効果で目立たせました。緑をあえて体の部分に被せず、頭部に被せるところに紗奈の構成の意識が感じられて素晴らしいです。

二人とも同じ鳥類を描いていて、羽毛の表現に苦戦を強いられていましたが、それぞれの生き物の印象を大いに引き出せる描き方に収められたのではないでしょうか。

生命の形を切り取って

左 万里菜 / 右 悠華  共に高1  岩絵具・和紙・パネル

サヤカです。今週も引き続き学生クラスの日本画をご紹介します。

まず、万里菜の作品です。堂々としたクジャクのクールな視線が印象的ですね。視線の先に余白を残すことで、よりクジャクの存在感が強調されています。目を惹くのは、緻密に描かれた羽たち!クジャクのオスは、自身の美しい羽を広げて求愛行動を行うため、羽の美しさが魅力に直結する生き物です。万里菜が描いたクジャクも自分の羽の美しさに対するプライドを感じる堂々とした佇まいですね。色彩や、緻密さ、構図のバランスがよく、見る人の視線を主役に誘導する構成力が光っています!

次に、悠華の作品です。悠々と泳ぐ金魚を描きました。水中を描写するために、水面の反射や屈折、波紋の表現が繊細に描かれています。また、ヒレの透明感には、淡いグラデーションを使い、金魚が光を受けている様子が美しく再現されています。
様々な角度から金魚が描かれ、まるで目の前で泳ぐ金魚を見ているような流動感があります。遠近法や動きのある構図を取り入れ、静止画でありながらも時間の流れや動きを感じさせる演出が素晴らしいです!加えて、オレンジ色の鮮やかな色彩で金魚を描いたのに対し、水面は補食である青色を明度を落として描くことでコントラストが効いています。

次に右、悠華の作品です。遠近法やコマ送りのような構図を取り入れ、静止画でありながらも時間の流れや動きを感じさせる演出が素晴らしいです!様々な角度から金魚が描かれ、まるで目の前で泳ぐ金魚を見ているような流動感!
水中を描写するために、水面の反射や屈折、波紋の表現が繊細に描きました。また、ヒレの透明感には、淡いグラデーションを使い、金魚が光を受けている様子が美しく再現されています。オレンジ色の鮮やかな色彩で金魚を描いたのに対し、水面は補食である青色を明度を落として描くことでビビットになり過ぎないようまとめました。

二人とも技術力もさることながら、いきものが暮らす環境や、性質を捉え、魅力的に描きました。並べてみると、輝くような生命力を感じる万里菜の作品と、悠々とした時の流れを感じさせる悠華の作品、どちらもオレンジとブルーの対比が魅力を引き出しているのがわかります。これからも二人の作品を楽しみにしています!