的確な役務を提供できる人

小原です。ナツメも巣立っていきました。生徒としては、小学2年生から高2の冬まで10年間ミオスに通い、アシスタントとしては、高1から高2の冬までの2年弱+大学に入ってからは5年間(卒業後1年間別の学部に通ったので)=計7年間ほど働いてくれました。累計年数としては7歳から23歳までですから、なんと16年です。32周年のミオスの歴史の半分を一緒に過ごしたことになりますが、彼女にとっては人生の2/3をミオスに捧げたことになりますね。すごいことだと思います。

小3 笑顔が自然で可愛い

彼女ほど激しい変貌を遂げた人間には、会ったことがありません。オタマジャクシ(幼生)からカエル(成体)へと成長していく過程では様々な変化が生じるように、小学生の頃の元気な明るさは中学生になるとオタマジャクシの尻尾さながら消失し(影をひそめるなんてもんじゃない!)、自己防衛の足が生え・自意識過剰の腕が伸び、闇落ち。(そりゃイジリたくもなるわ!)

カエルの変態の前後では体の変化だけではなく、行動様式が大きく変わります。幼生は水棲(草食)であり、成体は陸上棲(肉食)です。無邪気だったオタマジャクシと打って変わり、暗黒カエル期は全てを拒絶。ニコリともせず絵を隠しながら制作するので、なぜアトリエに通っているのか分かりません。わざと絡んで弄るのが上手い幸介先生がいなければ、陸上棲どころか、どこにも居場所がなく世の中から孤立し干からびていたことでしょう。

高1 笑顔がぎこちない
2日前の最後の写真もまだ笑顔が固いけど(笑)

え?どうやって今の素晴らしい人間・思いやりのある気配り上手なナツメ先生が誕生したかって?驚くべき変化が更に起こります。カエルより1段階変態回数が多いのは、彼女が愛するポケモンの進化と類似。メガナツメです。しかもその速さと言ったら!
美大に合格すると、自ら「変わります!」と宣言。私も協力し「6年も心を閉ざしていたのだからすぐに笑顔は作れない。でも見た目は一瞬で変えられる。」と、髪をインナーカラーで赤く染め、オープンマインドの練習。持ち前の負けず嫌いな性格が幸いし、あっという間に大人クラスから幼児クラスまで、求められる人になりました。(大学で友達を作るより簡単だったそうです。笑)

カエルは幼生と成体とで生息域や餌を競合せず、このことが生存に有利であると考えられています。多くの美大生が羨む就職先に内定をもらった彼女のような優秀な人間になるには、ダークサイドにいる時間がメリットになったに違いありません。私がとことん厳しくダメ出しを連発したのもこの期間ですから。嫌と言うほど叱りました。自分の欠点を知り、克服し、そして人の気持ちに寄り添える人間になりました。

私からの最後のアドバイスは3つ『自分のことも語りなさい』聞き上手は好かれるけど、距離は詰められない。共感って嬉しいんだよ。一方通行じゃ信頼関係に限界がある。
『時には甘えなさい』人は甘えられると、お互い様と安心できる。甘えは弱さでも負けでもなく、対等な人間関係を築く潤滑油。
『バカなやつには謙虚な姿勢をとるな』真面目に健気にさり気なく仕事したことを気付き評価してくれるのは、ミオスの生徒さんや親御さんのように人格・品格が優れ成熟した精神を持つ人たちだけ!社会に出て自己アピールを躊躇してると、なめられて手柄を横取りされる。「なんでこんなに頑張っているのに、正当な評価が得られないんだろう?」と卑屈になって終わり。功績を報告して賞賛を受けるのは、意地汚い欲望じゃない。

的確なタイミングで必要なことをできる人間にはなれた。次は、出会った人たちから、もう少し時短で愛される人間になろう。今こそ進化の限界を超えたさらなる進化『メガシンカ』をする時だ!ナツメが秘めたパワーを解放することで、通常の進化を上回るパワーアップを遂げるぞ。でもね、どうしてもできないことがあったら、別のことで補える。それを探すのは逃げじゃなくて、むしろ前向きなことだと思う。
これからもナツメ観察日記をつけたいから、いつでも顔出しに来なさいね!ついでに仕事を手伝わせるから、しょっちゅうお出で。(ここまで言えば、遠慮しないで来られるだろう?)また闇に溺れても、中高生だったナツメがやったように、恥ずかしがらずにSOS出して頼りなさい。何度でも救うよ。
今まで献身的に努めてくれて本当にありがとう!ナツメほど不足を探せる人は今までいなかった。その特技は一生の糧となるでしょう。

周囲を明るく灯す人

高校生の時(生徒としては学生クラスから入会しているので、子ども時代の写真がなく残念)

小原です。真結花が先週の木曜クラスを最後に巣立っていきました。生徒としては、中学2から高2の冬まで4年間ミオスに通い、アシスタントとしては6年間働いてくれました。ミオスで過ごした14歳から22歳までの8年間、思春期の女の子は特に物凄い変化・進化をする…のが普通なのですが、全く変わらなかった。
本人は「ひねくれていた」なんて書いていましたが、私から見れば中学生にしてパーフェクトな人間関係を築ける人だったと思っています。常に元気一杯(結構うるさい)、常に情熱的(かなり暑苦しい)、常に明るく(眩しく目立ち過ぎ)、こんなにエネルギッシュな人間に会ったことがありません。熱いパッションを使い続けても、心の疲れ知らずです。いつ何をチャージすると、こんなパワフルで明るく響き渡る笑い声を連発できるのだろう?と不思議でなりません。圧倒的高コスパ、押し付けがましい程の力強さなんです!

褒めているのか貶しているのか分からなくなってきましたが、底抜けの明るさ・前向きさは魔法少女のよう。精神的に自分を満たす術を知り、余裕を作り、人に分け与えることで心を成熟させた人。
小学生相手でも学生相手でも、人の懐にスッと入り込んで話題を提供。笑わせ楽しませている内に、彼女が輪から離れても皆が会話を共有し友達になっている。また、制作に飽きて作品が悪くなり始めた子を見付けると、美術と全く関係のない話題でガス抜き。ストレスを発散させたら「ここカッコいいね!色が好き!」など作品を褒めてモチベーションを復活させる。私に怒られている子がいると慰めるのではなく(慰めると悪い事をしたことがうやむやになってしまうから)、その周りの子に明るく振舞い、重い空気を軽やかにして本人が立ち直れる雰囲気にしてあげる。高校生のアルバイト時代からナチュラルにそんな離れ業ができる人間でした。

とここまで褒めましたが、一気に落とすぞ。盛り上がると話が止められず、トーンも押さえられず。学生クラスでは「マユカうるせぇ!黙れ!」「笑い声がデカすぎて、私の話が聞こえねぇ!」と、生徒ではなく先生を怒るという珍事も一度や二度ではありません。それでもめげない逞しいところも尊敬してるけど、心に留めておいて欲しい事を2つ言っておきましょう。
・過剰な提供(サービス)はやりすぎるとウザいからね!自分の影響力がいかに強いか自覚して、相手に選択の余地を与えてあげなさい。
・笑い声に元気がありすぎて響くから、大人しい人と関わる時やナーバスになっている人を慰める時は、声は出さずに笑顔だけにしなさい。朗らかな顔だけでもマユカには十分癒す力がある。

これからは身近な人とだけでなく、異なる文化・世代・立場の人と関わるようになりますが、彼女ならきっと良い関係性をつくり、協働、連携していけるでしょう。積極的に人とコミュニケーションを取れる力は社会に一番必要で、進化したAIでも奪えない、人間にしかできない大切な仕事です。真結花ならではの能力、役割、存在意義を自らに問い、ますますグレードアップしてください。今まで本当にどうもありがとうございました。皆、いつも明るい真結花先生のことが大好きでした。救われた人もたくさんいます。生徒達が大人になってからもずっと記憶に残るでしょう。

追伸 社会に出て理不尽な目に合って落ち込んだら、受験の時と同様に駆け込み寺として利用してね。真結花の為にも、ミオスはいつでも頼って良い場所であり続けるから。「どうしても人手不足になったら、会社を休んででも参上します!」と言ってくれたこと、本当に嬉しかった。お礼に真結花が寒さに凍えることがあったら、暖炉の一番暖かい場所を譲ります。私が味方になるから、安心して思いっきり活躍してください。

ありがとうございました!

ナツメです。就職に伴い、本日がアトリエ・ミオスでの最後の授業となりました。
これまで本当にありがとうございました!

振り返るとスタッフとして携わっていた時間は思っていた以上に長く、大学生になって最初の年に担当した美術高校受験生の中学生が今年から大学生になり、現在はスタッフとして関わっているほどです。(夏波先生)さらに生徒として通っていた頃から数えると、小学2年生の頃からお世話になっていたので、ざっくり人生の7割ほどとかなりの時間を過ごしてきたことになります。

経験したことや学んだことがあまりにも多く、この最後のブログも何を綴ろうかと、書いては消してを繰り返してしまいました。それくらい自分にとってミオスは大きな存在であり、この卒業はひとつの大きな転換点なのだと感じています。

小さい頃から絵を描くことが好きで、幼稚園の工作教室を経てミオスに入りました。同じく好きだったポケモンを上手く描けるようになりたいな〜くらいの気持ちだったのが、油絵や日本画、版画に石膏…と、さまざまな素材に触れる中で、描くことにとどまらない「ものづくり」の楽しさを知ったことが、自分の原体験になっている気がします。また、先生方が子ども扱いをするのではなく、一人の人間として向き合ってくださっていることを感じられたのも、とても嬉しいことでした。大きくなるにつれて手放してしまった作品も多いのですが、それでも当時つくったもののほとんどを今でも鮮明に覚えています。

アトリエの話をするうえで避けて通れないのが、中高時代です。陰鬱を煮詰めたような拗らせ方をしてしまい、塞ぎ込んでろくに会話もせず、教室で絵を描いていても先生が来ると隠してしまうような状態でした。ありえません。自分で言うのもどうかと思いますが、これまでスタッフをしてきて、同じような生徒には一人も出会いませんでした。(そのせいか、小原先生にはこの話をよくいじられます。)そんな扱いづらい生徒を見捨てずに向き合い続けてくださったこと、今振り返ると申し訳なさと同時に、強い感謝の気持ちでいっぱいです。私にとっては学校や家とはまた違う居場所だったため、内心ではずっと大事だと思っていたけれど、言葉にしないと何も伝わらないこともこの5年間で学びました。

ミオスで過ごす中で、「やっぱりものづくりをしていきたい」と思うようになり、美大に進み、アシスタントスタッフとして関わるようになりました。優秀な先生方を見て「こうなりたい」と思ったものの、最初の頃は人と話すこともぎこちなく、緊張のあまり生徒さんと少し話しては引っ込み、また別の方と少し話しては引っ込み…と、今思えばかなり不安を煽る動きをしていたと思います。そんな自分にもあたたかく接してくださった皆様のおかげで、「楽しく制作できる場をつくることで応えたい」と思えるようになり、その思いをミオスに支えられながら、変わっていくことができました。

「先生方のようになりたい」、と思いながらも未熟だった自分にとって、小原先生に言われた「思いやりは想像力だ」という言葉が強く印象に残っています。それまで自分が“優しさ”だと思っていたものが、ただの独りよがりだったことに気づかされました。

相手が何を感じているのか、どう受け取るのかを想像すること。その難しさと大切さを、少しずつ学んできたように思います。

アトリエに通うことが日常だったからか、まだ実感はあまり湧いていませんが、きっとこれから少しずつ寂しさが増していくのだと思います。

「叱らない教育」という言葉も耳にするこの時代に、甘やかすのではなく、私のためを思って厳しく、そして愛情を持って導いてくださった小原先生。共に過ごしたスタッフの皆様。そして、日々たくさんの気づきや学びを与えてくださった生徒の皆さん。本当にありがとうございました。ミオスで過ごした時間は、かけがえのない、大切な人生の宝物です。

4月からはゲーム会社でUIデザイナーとして、ゲームを直感的に遊べるような画面のレイアウトやボタンなどをデザインする仕事に就きます。
またふらっと顔を出すつもりなので、そのときによい話ができるよう、社会人生活も精一杯頑張ります!

思い出が尽きない六年間

マユカです!講師のアルバイトは高校生から、木曜のブログは大学生になってから担当させていただいていましたが、ついに今日が最後の授業&記事になってしまいました。思えば短かった…なんてことはなく、むしろ思い出が多すぎて「頑張ったなぁ」だとか「またミオスをお手伝いしにいく機会があったらいいな」なんてことを考えています。寂しい気持ちも勿論ありますが、ミオスでの日々が私の生活の一部になりすぎていて、全く引退する実感が湧いていません。これが「学生気分が抜けない」というやつなのでしょうか。

しかしミオスには本当にお世話になりましたね…。小原先生や、今はもう引退してしまった先生方、一緒に働いた学生スタッフは勿論なのですが、生徒さん方との交流も私を大きく成長させてくれたと感じています。飲食などの普通のアルバイトとは全く違う形の仕事だからこそ、考えなければならないこともたくさんあり大変でしたが、それ以上に大切な経験をさせていただきました。私と関わってくださった全ての方々に感謝の気持ちでいっぱいです。考えてみたら、ミオスで働き始めてから人付き合いがうまくいくようになり、友達ができやすくなったような気がします。(中学生以前の私は本当に捻くれていたので…)ミオスによって性格も真っ直ぐ矯正されたのかもしれません!

実は私は生徒として在籍していた時間よりも、講師をさせていただいていた時間の方が長く、中2の時に川崎総合科学高校のデザイン科を受験するためだけに通い始めたという経緯があります。昔から絵を描く事が好きではありましたが、受験に必要なデッサンなどは微塵も触れてこなかったので、体験でのデッサンは散々でした。負けず嫌いで無駄に自尊心の高い子供だったので、自分が下手だという事実が悔しいやら情けないやらで、反抗的な態度をとっていた様な記憶があります。(昔を思い返しながらこれを書いているのですが、ものすごく恥ずかしいですね?!あの頃の私を誰も覚えていないことを願います…)

その後で模試を受け現実を知り、真面目に頑張るようになり、いくらか性格がまっすぐになった時に小原先生にアルバイトのスカウトを受けました。「小学生クラスを手伝う」という、字面だけ見れば簡単そうなお仕事だったので、「年の離れた弟がいて小さい子の面倒見るの慣れてるし、できるでしょ!」と喜んで参加しましたが、全くもって簡単なんかじゃなく、毎回怒られていました。以前も何かで書いたような気がするのですが、未だに先生からの「指示待ち人間になるな!」の言葉が時々脳裏をよぎり、襟を正しています。

大学受験の為に一年間ミオスのバイトをお休みしましたが、その時に「受験で息苦しくなったらいつでも作品を持ってミオスにおいでね」と言っていただき、それが受験の心の支えになっていました。一度心が折れかけた時にアドバイスをもらいにいき、メンタルを立て直して再度奮闘。無事に合格してから、いつでも来ていいと言ってもらえたありがたさを噛み締めていました。居場所があると言うのは支えになるものですね
大学生になってから小学生や学生クラスを主に担当するようになり、関わる人が増え、責任も増え、後輩もでき、かつての先生方もこうやって責任感を持って私たちと関わってくれていたんだろうな、としみじみ実感。たくさんの人に支えてもらってここまで来たんだなぁと感謝の気持ちが尽きません。

書きたいことも思い出もあまりにもありすぎてここに書ききれないことばかりです。絵を仕事にしたい!という漠然とした思いを胸に生きてきた私が夢を叶える事ができたのも、ミオスのおかげだと思っています。勿論ずっとイラストや基礎画力を磨き続けていましたが、ミオスと関わってきたこの七年間、自分の「好き」を追い続け、たくさんの作品に触れ、社会や人との関わり方を教わり…と、本当に充実した経験を積む事ができました。ミオスでいただいた言葉や思い出を胸に、新社会人として頑張っていきたいと思います。改めて、皆様本当にありがとうございました!生徒作品展などにはまた顔を出しに行きますので、出会える日までまたいつか!

ルネッサンス到来

郁人 中3 墨絵・粘土

お正月休み中、何もしていない小原です。皆様はいかがお過ごしでしょうか?

お年玉もデジタル送金が当たり前になった現在、芸術の世界でもAIが幅を利かせるようになりました。しかしそれは今に始まったことではなく、私が絵画教室を立ち上げた32年前からすでにその脅威は迫っていましたので、時代に逆行した仕事を選んだとも感じながら生きてきました。

果たして芸術は破滅の淵へ放り込まれるのでしょうか?明日のアートは、どうなっていくのでしょう?
それは何人にも具体的には予言できません。ただ確信をもって言えることは、新しいものが加わる、もしくは入れ替わる時は、転換が起こり、溶暗が始まります。今後の芸術の世界は、従来よりも一層深く、大きく豊かに広がって行くだろうと思われます。

先人に学び、己を掘り下げ、古い優れたものを軽蔑し捨てることなく、新しい目で見、自分に価値のあるものを探す、真の『復興=ルネッサンス』の時が来たのではないでしょうか?
AIの中から新しい養分を見出し搾取しても良い。私は今こそ次なるステージへ成長を遂げるチャンスと捉えています。

小学生 粘土

年末年始恒例のスタッフのご挨拶は、今回は私と岩田のみにさせて頂きました。1ヶ月半前の11月の展覧会での感想が、同等に仕事に対する思いも含めて語っていると思いまして…。まだお読みになっていない方は、ぜひご覧ください。

大竹のブログはこちら
阪上のブログはこちら
土田のブログはこちら
福崎のブログはこちら
髙木のブログはこちら
河原のブログはこちら
宇梶のブログはこちら
岡田のブログはこちら
北野のブログはこちら

新年のご挨拶

原 油彩

謹んで新春のお慶びを申し上げます
旧年中は教室の活動にご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。

今年も更なる向上に努めて参りますので、より一層のご支援、お引立てを賜りますようお願い申し上げます。

皆様のご健康とご多幸をお祈りし、新年のご挨拶とさせていただきます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

絵画教室アトリエ・ミオス代表 小原 京美


原さんの、生命力に満ちた躍動を感じさせる『雪原を駆ける馬』の油彩は、こちらの解説をご参照ください。

小学生 粘土

自分に与えられた使命

岩田です。1ヵ月ぶりのブログ、しかも大晦日にお久し振りという感じです!
今年は春過ぎくらいから仕事が猛烈に忙しくなり、8月よりミオスをずっとお休みを頂き、11月~年末にかけての展示に向けて準備を重ねてきました。
11月は、台北での2人展、大阪で2か所、東京で毎年参加している銀座ポーラミュージアムアネックスでのチャリティー展への参加と、展示がギュッと凝縮していて、大阪へ作品を直接搬入に行ったり、台北の展示のオープニングイベントの参加もあり、それらが終わった時には、暫く体が動かずひたすら寝て過ごしていました笑。

台北は、茶托や茶則といった台湾茶に使う茶道具をメインに出品し、オープニングでは、茶と香の設えで来場者をもてなす企画がありました。もちろん中国語は話せないのですが、傍らに通訳の方がいらっしゃってくれたので、台湾の方々との交流は、とても和やかな雰囲気に包まれ、作品にとても興味を持ってくれていることが分かりました。

台湾では、漆という文化が無い訳ではないのですが、日本ほど溶け込んでいないというのが現状。
とはいえ、漆で作られているものがどういうものかといった認識はあるようで、所謂漆のイメージとは異なる質感の作品に触れ、作り方への質問も寄せられ、素材への興味を抱いてくれている様子が見て取れました。

大阪の展示では、漆の他に陶、古道具、花、香、茶、菓子、パフォーマンスといった、その道の方々が集い展示を行い、日によって、茶や花に関しての企画や、書を用いたパフォーマンスなどを交え、とても魅力的な空間が生まれました。
侘びさびの精神が通底することでそれらがバラつかず、一つの展示としてまとまりを持たせ運営していくギャラリストの技量と懐の深さに敬意を感じさせる見事な展示となりました。

現在はフランスのギャラリーで作品を展示中で、来年の活動としては、東京、上海、フランスと各地で展示が予定されています。

漆というとひと頃は、一般的に殆ど見向きもされない存在でしたが、ここに来て、その特異性がようやく世界から注目されてきたという実感があります。
私の作っているものは、前述したように、所謂漆器というものとは違う質感を持つ作品です。
なだらかで綺麗に、同じものを短時間で効率よく、数をこなす漆職人が作るものとは異なり、むしろその時々の環境で乾き方が変化する漆の表情を個性と見て、それらを活かしていく作り方は、職人とは180度方向の違う姿勢ではありますが、それこそが自分に与えられた使命、役割と自負し、これからも柔軟な考え方で、漆の持つ可能性を掘って掘って掘り起こしていくつもりです。

都内近郊で展示がある際は、何卒足をお運び頂ければ幸いです。岩田がどんなものを作っているのか、是非その目でご覧になって下さい。

2026年も講師としてというより、作家としてどのように生徒の皆様に芸術を啓蒙できるかに尽力していきたいと思っております。
変わらぬお付き合いを、どうぞ宜しくお願い致します。
皆様、良いお年をお迎えください!

岩田俊彦

訃報

アトリエのスタッフとして8年間ミオスを支えて下さった 元講師の嶋田ひろみ先生が令和7年11月22日 享年55にてご逝去されました
ご冥福をお祈りするとともに謹んでお知らせ申し上げます

現在もミオスのホームページで使わせて頂いている、こちらのイラストを描いた方です。
4年半の闘病生活の間も精力的に作家活動をし、先月も展示会を開いていたほどで、最後の最後まで明るくパワフルに(おしゃべりも止まらずに)過ごされた奇跡の人でした。

ブログ『サヨナラ嶋田先生』はこちら

情け容赦なく

アトリエ・ミオス代表の小原です。31年目として気持ち新たに邁進いたします。ときれいごとを宣言しておきながら相応しくない内容ですが、私の苦手(嫌い)なことを…
【真面目】と【優しさ】
こう書くと人間のクズですが、私のことをご理解頂いている生徒さん・保護者様には、言わんとすることが伝わっているでしょう。一般的な事をわざわざここで言う必要はありませんから、極端ではありますが『芸術に携わる人』への意見として書いています。
【真面目】 コツコツ丁寧が一番と思い込み、他の可能性を探さない=職務怠慢
【優しい】 抑揚を控え穏やかが一番と信じ、無難な行動しか出来ない=無精者
だと思っています。(年始の挨拶ブログでこんな事を言っていいのか?いささか不安。)

昨年は美大に入ったばかりの元生徒5人が新しいスタッフとしてミオスにカムバックしてくれました。(年末のブログで5人が見られます。)もちろん当校から毎年何人も美大に合格しますが、上記2つに該当しそうな学生はスタッフに勧誘しません。「行動も努力も態度も一辺倒なのに、結果を求めてもねぇ。楽なもの(現状維持)、運や偶然、己の小さな才能に頼ったって無駄だよ。美術ってそういうもんじゃないでしょ?変化を恐れてどうするの。もっと人生も人間関係も作品もかきまわしちまえよ。」と思っているからです。
まず行動し、結果が出なければどこが悪かったか考えて、改めて努力して欲しい。でももし指示待ち人間だったとしても、怒られて行動に移せる素直さがあれば成長します。ですので、自分から「ミオスで働かせてください!」と頭を下げて来た学生は伸びしろありと判断し、真面目で優しいだけでもアシスタントに迎えています。

話は変わりますが、受験目前の学生たちは必死です。冬休みに何人も私のプライベートレッスンを受講しに来てくれました。通常の授業ではほとんど美大生スタッフが教えています(年が近く、ちょっと前に受験を経験した人の言葉の方が響く)ので、私の指導の厳しさに耐性がない生徒は号泣してトイレに籠ることも。「もしお前が不安と苦悩に満ちているなら、それは歩みが進んでいる証拠だ。安心して落ち着ける場所は己を鈍くすると、お前自身も知っているはずだ。怯え続けろ。お前が予想するより世界は凶暴なのだから。」(なんの読み物に出て来た名言か思い出せず…)せっかく還暦近い人間なので、小手先の技術だけでなく、美術を通した生き方を熱く語っています。真面目で優しいだけでは、弱い絵しか描けません。美術の世界ではすぐに淘汰されてしまうでしょう。

悩み、迷い、自分の血を流して考え抜いた事しか身に付かない。苦しみが魂を磨く。逃げられない苦しみに耐えられる精神力は、ゆるい日常からは生まれない。努力や理論(ロジカル)では突破できない壁を打ち破る腕力(局面をねじ伏せる強さ)を備えなければ。
今後、ますます不確実になっていくであろう未来を生きる上で、美術の可能性を探究することが、きっと人生の多くのヒントを届けてくれると信じて、今年も【軽佻浮薄?】に【情け容赦なく】いこうと思います。

変化を楽しんでいこう!

本日から月曜クラスのみ授業がありますよ。(その後は受験以外10日までお休みです。)毎週土曜日に講師をいている岩田です。

もう今年で、アトリエミオスに来て何年になるでしょう。敷居をまたいだ日が、あまりに遠い記憶になっていて、マジで思い出せないくらいです。
当初は、町田の予備校の講師と兼任していて、途中からアトリエミオスだけに絞り、週1日の講師業を現在まで続けている次第です。それ以外のは、漆の仕事をひたすら自宅の工房でやっている毎日です。

漆の仕事に関していえば、昨年は、日本を出て、台北で開催された展覧会に参加するなど、新たな動きも出てきました。今年も台北での展覧会に出展する予定ですが、日本以外の地で作品が認められるというのは、言わずもがな本当に嬉しい事です。

そもそも台北で活動できるようになったのは、昨年、台湾と日本の漆芸作家の交流展が台湾工芸館なる国立の施設で行われた際、私の作品も展示されるということで、その展示を見に現地に赴くと共に、台北のギャラリーに作品を持って、売り込みに行ったことがきっかけでした。
これが欧米や、他のアジアの国だと今のようにはなっていなかったと、つくづく思っています。

というのも、台湾は皆さんご存じのように親日家が多く、年配の方だけでなく、若い人達も日本語が通じる方々が結構いるのですが、売り込みに行ったギャラリーの若いキュレーターも日本語が堪能で、そこで話がちゃんと通じたことが何を置いても良かったのだと思っています。そして何より、台湾人が日本人を信頼し、互いに尊敬し合う関係を築いて来てくださった先人の方々のお陰だと言わざるをえません。

私は今年54歳になりましたが、この年になってようやく作っていて楽しく、又自分でもしっくりくるものを作ることができてきたなぁと感じています。ようやくです。
10年前と比べても、作風もすっかり変わりましたが、生きていると、若い頃と感覚も変わってくるし、それに伴って自分が求めるものも変化してくるのが当然。やはりモノを作る上でも変化を怖がっては駄目だと思いますし、むしろ変化を楽しんでいきたいと思うのです。

2025年、私はもっともっと変化していきます。もっともっと今以上に自分の心に正直に人生を歩んでいきたいと思います。
今年も宜しくお願い致します!