夜景へのいざない

釜井 油彩

土曜・大人クラスの京谷です。
今回ご紹介いたしますのは、先だっての展覧会の折、坂の街の夕暮れを出品していらっしゃっいました釜井さんの作品です。とても独特な空気感をもつ作品ですので、ご記憶されていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。「夜景」というテーマは、私にとりましても大変身近なものでありまして、しばし足を止めて拝見させていただいたことを思い出します。

これは偶然なのですが、今日の授業の際に、アトリエ・ミオスの入り口ドアにふとA4サイズのバスツアーの案内を見つけました。「かわさき工場夜景巡り」。小原先生にお話を伺うと、なんとこのシリーズツアーに、釜井さんは既に参加していらっしゃったとのこと。釜井さんは本日のツアーにもお出掛けになったのでしょうか?とても気になってしまいました!

「夜景」に取り憑かれしもの。というと大袈裟かもしれませんが、その魅力はなかなかに奥深いのです。釜井さんの作品を隅々まで拝見していくと、ぐっと落とした色のトーンの中に様々な形が見えてきます。それが作品に深みを与えています。制作過程初期の段階では、夜のまばゆいばかりの「光」の描写を欲張ってしまいそうになるのですが、今回の作品ではフォーカスを効かせて、意識的に暗い色味の面積を多く取り、画面が散漫にならないような心遣いも感じられます。そして、そのことでより一層、画面中央部に美しくきらめく夜の「光」が効果的に表現されています。肉眼で見えているものや世界と、あらためて画面上に描き起こしていく世界は、出発点は同じであっても制作者を通して生み出される全く違ったもの、とも言えるかもしれません。特に「夜景」を描く時、そのような個性的な部分が大いに表現される、あるいはにじみ出てくるように思います。

まだご経験のない方、釜井さんのように「夜景」を描いてみませんか?

陽気にマンドリン気分♪

12月の足音も近づいてきましたね。
本日はツリーもリースも作ってクリスマスの準備は万全!?な幼児クラスより、15~20分スケッチブックお絵かきの様子をご紹介します。

今回はマンドリンを持った人物画ということで、私がモデルになり皆に描いてもらっちゃいました!小学生クラスでやっていたクロッキーのようですね。腕の形や髪の毛がどのように見えるかなど、じっくり観察して描かれています。
身体とマンドリンといったような物と物の重なる部分は輪郭だけ描いて、手前の物から色を塗っていくように気を付けます。何度も確認してから描いたおかげで、みな重なりがうまく描けましたね。マンドリンを弾くポーズも結構難しいですが、中々にいい感じ♪

毎回人物のポーズを変えたり、動物や昆虫だったりと色々なテーマで描き方の基本を学ぶことで、今後の作品作りにも期待の高まるスケッチブックお絵かき。
年長さんから年少さんまで皆それぞれに精一杯しっかりと描いているのが伝わってくる、素敵な作品群です!これからもお楽しみに! 庄司でした。

サンタがいっぱい!


幼児クラス
今年度ラスト授業のクリスマスパーティーで作るケーキのデモ作品ができると、、一気にクリスマスムードになってきますね!!
土台となるロールケーキの色は何色が切株らしいか、どんな味か、リサーチ&試食&試作で既に甘い香りが教室内にも漂ってきてます。

幼児クラスでは、先週クリスマスツリーを今週はクリスマスリースを作りました。11月からもうクリスマスを迎える準備開始です。
今日はリースの方をご紹介します。
このリースは、紙皿とトイレットペーパーの芯という身近なものをベースにしています。
折り紙や色画用紙の貼り方、糊の扱い方も上達してきたので、下地の材料が見えないくらい仕上がりがとってもきれい!!

玄関先やお部屋のアクセントとしてリースは、クリスマス必須のデコレーションアイテムですが、幼稚園生が作ったリースを飾ったらワクワク感が増しますね!何と言ってもサンタクロースの手の動きが楽しいんです。紙で作った腕を曲げるとサンタクロースに動きが出てくるので、制作中から愛着がわいてきます。
ノリノリのポーズのサンタクロース、ダンシングサンタクロース、おすましサンタクロース、イケメンサンタクロース、などなど顔の表情も仕草も全部違って良いですね~!

クリスマス制作が2週続いたので、来週あたりはお正月飾りを作りたいと思います。
小学生クラスのお飾りとは違う形で試案中・・・。           

伊藤絵里

今年のお正月は?

小学生クラス 『お正月飾り』

オバラです。小学生クラスの今年最後のカリキュラムは、『神宿りの紙飾り』です。
日本では古くから伝承されてきた“神を祀る紙による造形”が盛んに行われてきました。日本各地に祭祀や神社や邸宅を飾る紙飾りの文化が存在しますが、中でも東北地方では正月飾りとして複雑な意匠を立体的に切り込んだ豪奢な切り紙飾りが盛んに作られてきました。私の両親は岩手・宮城ですので、お正月に田舎に行くと、神棚にはこのような切り紙飾り(オカザリ、切り透かし、御幣、梵天など)が「これでもか!」とばかりにたくさんぶら下げられていたのを覚えています。元々は神社や民家などを飾る特殊技能として伝え広まったと考えられていますが、どのような人が作りどこで入手するのか、残念ながらおばあちゃんから手段を聞かず仕舞いとなってしまいました。(どちらの田舎も薪の風呂・ボットン便所共に外にあり、凍え死にしそうな素晴らしい家でしたが、現在はどちらもモダンなハウスに建て直され、御飾は失われた文化になってしまいました。)
しかし、独特なエネルギーに満ち、多岐にわたる様式・意匠の多様性と美しさは、まさに自然と生活への畏敬を表す“神が宿る紙飾り”として、子ども達に大切なものを教えてくれるに違いありません。お正月はぜひご家族で一年の幸せを祈りながら、子ども達の作った御飾を玄関に飾って下さい。

今年のクリスマスは?

 田中作 『クリスマスケーキ』
今年もこの大イベントの季節がやって参りました!皆様お楽しみ、食べられる工作をするクリスマスパーティー☆
今年は7年振りに『丸太形のケーキ、ブッシュ・ド・ノ・エル』を作ります。(7年前の写真はこちらをクリック)初めて作る方もたくさんいらっしゃいますし、7年振りなので忘れている方も多いでしょう。ブッシュ・ド・ノ・エルが丸太の理由をもう一度ご説明します。

かつてヨーロッパでは、クリスマスに木を切り倒し、一本丸ごと家に持ち帰り、厳かに燃やす習慣がありました。力強い木のエネルギーが火の粉として飛び出し、燃え尽きた灰にはその力が潜むと考えられていました。ヨーロッパでは丸太はおめでたいものであり、クリスマスとは切り離せないものなのだそう。

ロールケーキを木の断面に見立てて作るブッシュ・ド・ノ・エルですが、実は前回少々自由にやらせ過ぎて、見た目がグジャっとなってしまった子が多かった事が講師の間で反省点として残っておりました。ですので今回はカッチリしっかり基本に忠実に製作します!20年間で一番「見た目美味しそう」且つ、「実際本当に美味しい」クリスマスケーキとなることを、お約束しましょう!
ただ日持ちしないので、毎年食べないで職場に飾る為に製作している大人クラスの方、今回はちょっと厳しいかもしれません。(乾燥している職場なら、1週間は持つかな?でも大人の味覚にも耐えられる美味しさなので、今回は食べた方が無難かもしれませんよ?)
大人はモカ、子どもはココアのロールケーキに、白樺風にホイップクリームをコーティングしフォークで引っかいて木の皮模様を付けたら、茶漉しでココアパウダーやきな粉を降り掛け、美しく飾りましょう!大人の方はお菓子の持ち込み自由ですが、今回はイチゴなどの果物をおススメします!(アルコールと、しょっぱいおつまみもお忘れなく!)   オバラ

日本画といっても様々

石神 日本画

土曜日になると現れる岩田です。本日ご紹介しますのは石神さんの日本画です。石神さんは富士山とてもお好きなんですね。以前のブログにも「赤富士」ご紹介させて頂きました。
今回の作品「THE富士山」といった堂々たる作品ですね。やはり石神さんは安定感あります。長年岩絵の具を使って描き続けて来られていますから。やはり。
テクニック的にも、既に高いレベルまでマスターしてらっしゃると感じますね。主役の富士山は元より、手前にかかる雲(靄?)の表現にしても空中に漂っているのがちゃんと表現されていますし、色使いも凄く美しいです。空も良いですね。多分、筆遣いが卓越しているのだと思うんです。

先日の展覧会の講評でもご本人の口から何かもっと日本画という枠に囚われない表現をしてみたいといった感じのコメントを頂いた気がするのですが石神さんおそらく現在、そういった表現を画面に投影しようと頑張っておられるのではないでしょうか。こちらの富士山の絵もそういった意味で今までの殻を破りつつ何か探っているのかなと感じております。

私がそういった意味で面白いとな感じる日本画の作品や作家がいるのですがその一人、加山又造です。と言っても私が好きなのは又造が最初期に描いていた絵なのですが「月に犀」、「月に縞馬」などの動物を描いた作品は日本画?といった感じでとても面白いと思うんです。
もう一人は岡村桂三郎です。現在多摩美の教授ですが木の板の上に直接顔料を載せているんだと思います。多分。その板も彫ったりして、何か面白い雰囲気の作品なんですね。

この二人に見て取れるのがやはり、日本画?といった作風です。まあ私自身がそういった所謂、王道から少し踏み外しちゃってる作品が好きだということもあるのですがもしどこかで展覧会などやることがありましたら皆さんも見にいらしてみては如何でしょうか。何かインスピレーションが湧いてくるかもしれません。

小学生クロッキー!

本日は水・木曜日小学生クラスのクロッキーの様子をご紹介します。

こちらが水曜日小学生クラス。

そして、こちらが木曜日小学生クラスです。

モデルさんたちは、こんなポーズをとっておりました。
最後の方、高学年チームはブリッジの姿勢やうつ伏せだったりとちょっと難しいポーズにも挑戦!

クロッキーのモデルは、はじめは皆嫌がっていたのでじゃんけんで負けた子からモデルをしていたのですが、最後の方は皆がモデルに立候補するような状態になりました。私も学生の頃やりましたが、クロッキーのモデルやってみると大変ですが意外と楽しいです。終了間際の10分ちかくになると、モデルさんもかなり疲れてきてまだー?なんて声が出てきたり、ちょっと動かないでよ、という声が描いているほうから上がったりもしましたが、いやはや皆堂に入ったモデルっぷりでしたよ!

関節や全体のバランスなど、一枚描くごとにどんどん変わっていくので見ていても、おおっと声を上げたくなる作品も多いです。また、高学年になるとわざわざそんな難しい角度から…というような位置取りをして見事描き上げる子もいて、頼もしいものです!

鉛筆で描いたクロッキーとペンで一発勝負のクロッキー見比べてみるとどちらも味がありますが、クロッキーの特性から言って、ペンは勢いもあってかなり良い感じ♪ですね!これからの絵画も楽しみにさせてくれる作品群でした! 庄司

小学校受験結果待ち


小学校受験 入試直前にプライベートレッスンで制作した作品
【2枚の画用紙で制作する課題】
左:好きな動物(ミミズク)  
中央2枚:被るとワクワクする帽子(僕はサッカーが好きです。サッカーシューズがついているこの帽子を被ると速く走れるのでワクワクします!)
右:将来なりたいもの(消防士の帽子)

10月から始まった首都圏私立小学校受験がようやく終わりました。試験を終えた保護者の方々から結果報告が届いています。
試験当日の様子を伺うと、自信をもって楽しく試験に臨めたお子様が多かったようで、大変嬉しく思っております。

私立小学校入試は、学力試験・面接の他に絵画・制作や行動観察の試験を行う学校が増えています。絵画制作の試験は、作品の画力が合否の判断にはなりません。制作過程での行動や作品に対するプレゼン力がかなりポイントとなっているようです。
個人制作中に先生に問いかけられた時に、楽しそうに積極的に話が出来る子、また集団制作中に、初めて会った子に自分から積極的に声をかけていくことができる子、お友達に声をかけられて元気に答えられる子は、豊かな社会性がみえてきます。
今秋受験した生徒さんの中には、試験会場で制作中に先生に声をかけていただき答えた後、立ち去った先生に「もっとぼくの話を聞いて!」と自分が描いた絵について、さらに積極的にアピールした頼もしいお子様がいました。
こういった他者とどう関われるかというコミュニケーション能力は、入学後や将来の集団生活を想定して学校側は重要視するのでしょう。

そしてもう一つ。問題の指示の聞き取りが十分に出来ているかどうかという点も重要です。
最近の傾向として制作の指示や行動の指示が聞けない子が多く感じますが、入試ではそこで差がつく問題が増えているように思いました。

今までたくさんの課題に挑んで頑張った皆さん、サポートされてきた保護者の皆様、おめでとうございます。

今後も小学校受験クラスでは、「楽しく自信をもって制作しよう」は変わらずに、近年の傾向対策ができるよう努めてまいります。    伊藤

学生の人物クロッキー


木曜学生クラス

火曜学生クラス

オバラです。学生クラスでも人物クロッキー(大会?)をやりました。(小学生、水曜・木曜クラスのご紹介は、金曜日に庄司先生から)
2日間かけてのクロッキーでしたが、1日目は1枚に2~30分掛けてじっくり、2日目は1ポーズ5~10分のハイペースクロッキー。中高生なので思い切った動きのあるポーズや、男子は上半身裸なんぞもさせちゃいます!腹筋・胸筋・背筋は描きごたえがあります☆
小学生もそうですが、こういうアカデミックな授業は顕著に図工や美術の成績に反映されますので、保護者の方々からの評判がすこぶる良い。生徒達も「あれ?なんか俺うまくなってる?」と自分で気付くほどの上達ぶり。
やはり人物が描けなくては美術は始まりませんから、人体のつくりを(なんとなくで十分ですので)念頭において、感覚ではなくしっかり描き進めることが重要です。モデルを良く見て、人体の構造を記憶して、見なくても描ける様になるのが小中学生では理想です。
話しは変わりますが、学生時代にカルチャーセンターなどでモデルのバイトをしていました。(友達と電車中にうっかり「これからモデルのバイトなんだ」なんて言ってしまうと、そこら中から「お前がモデルな訳ねーだろ!?」という白い目が突き刺さり、いたたまれず途中下車せざるを得ない状況に陥ってました。)
モデル仲間のほとんどは作家や美大生。こんなポーズが勉強になる、こういう無理な姿勢が美しい、と感覚でわかっているので求められるんですね。指先にまで神経を尖らせてポージングしていました。描く方も描かれる方も経験しているのでわかる事は、モデルが力を入れている(疲れる)場所はどこかという事が重要だという事。両足が地面についていても、同じ力を掛けて立っている訳ではありません。奥の方の足に体重が掛かっているとしたら、自分から距離があるとしても近い方の足より力強く描かねば重心がズレてしまいます。静物や風景と最も違う描き方(意識の仕方)です。
最後に宣伝!
そんな勉強ができる人物クロッキー会にぜひご参加下さい!外部の方もご参加可能です。来年度最初のクロッキー会は2月7日(土)です。

芸術のゴミ箱

横浜トリエンナーレ アート・ビン [芸術のゴミ箱]にあなたの作品を捨ててみませんか? インスタレーション作品

オバラです。皆様横トリはご覧になりましたか?(11月3日に終了しています)
作品を理解するための概念が従来の枠に収まらない現代美術、特に「コンセプチュアルアート」と呼ばれる主要構成要素が作品の造形性にないものは、取っ付きにくい美術評論が極めて重要に感じられるほど難解であります。ですから一般の方が「訳の分からないもの=アート」「アートなら何でも許される(アート=免罪符)」「芸術家=変人」といった偏見を持たれるのも仕方が無いと諦めの気持ちもあります。
しかしあえて果敢に挑戦!凝り固まった「社会通念」を批判する現代アートの祭典が【横浜トリエンナーレ】でした。
その横トリの鑑賞だけでなく、上記イベントに参加された生徒さんがいらっしゃいましたので、授業中その時の感想を伺いました。賛否ではなく、まずは芸術についてそこまで考え抜いた真摯な姿勢に感服致しました。
「難解なもの=面倒なもの」ではなく、難しいからこそ時間を掛け考える価値のある面白いものだという結論を、私は話しの裏側に見い出し日々の生活を省みずにはいられません。感銘を受けましたお話しを、イベントに参加したレポートとして文章で残されたとのことで、お願いして送って頂きました。ご紹介します。

「創造的失敗のモニュメント」
実は、こんな話がある。(これは、なかなか絵仲間にも本意が伝わらず、あまり受けない話かも知れないない)
横浜美術館で「ヨコハマトリエンナーレ2014」が本年8月1日から11月3日まで開催された。
ここで、私にとって生涯最初にして、多分最後とも思われる、パフォーマンスを経験できたのである。
それは、絵を趣味とする者にとっては、結構、重大なイヴェントではなかったかと思っている。

「ヨコハマトリエンナーレ2014」は、テーマが「世界の中心には忘却の海がある」というキーワードで、横浜美術館と新港ピアと日の出町の階段広場にまたがる大企画で、入場料が2400円もする、横浜発の壮大な現代アートの国際展プロジェクトであった。

実はその冒頭の展示に、横浜美術館の正に入口の大広場のアーティスト・プロジェクトにマイケル・ランディという芸術家が主宰している、<アート・ビン>という名のパフォーマンスに近い参加型活動があり、一般参加も求められていた。
参加というのは、美術家たちが自分の描いた絵画や作品を持ち寄り、これを<アート・ビン>という強化ガラスで出来た大きなボックス空間に7Mの高さの階段から、捨て去る(廃棄)ということで成立するイヴェントで、このプロジェクトには「創造的失敗のモニュメント」と名付けられていた。
参加者には自ら夫々の意味と想いで「記憶を消さない忘却」を全身で感じろという話なのであった。(もちろん何も感じず能天気で廃棄するだけでも問題ない。すべてその人なりで決めれば良い話)

私は、これに参加する意志を固め、F40の人物画とF15~12の人物画6枚を投げ入れることで、参加する意志を固め、主宰者のマイケル・ランディから承認を得た。

要するに、邪魔な絵を処分することだけの話かも知れないが、折角の現代芸術の活動参加であり、ここで、その意味を考えて、自分を納得させようと悩んだのである。(勿論、今までも多くの作品を捨てて来たが、廃棄のポジティブな意味を考えて見るのは初めて)

以下は、私の真に拙い思いの経緯である。
1、まず、今残っている自分の古い絵画作品群の一部を思い出してみた。
東光会展や松涛美術館展の入選作は廃棄の対象外として、(これ等を捨ては審査委員に失礼に当たる)それ以外の色んな残存作品を持ち続けることは、自分の今にとって、本当に良いことなのだろうか。
絵画を描く趣味にとって相応しい行き方なのだろうか。(勿論、プロやセミプロの画家なら、キャリアマネジメントとして、どんな小さな作品でも売却済みは別として、備蓄しておくべきであろう。)
2、ふと思った。これからも体力と意欲がある限り、下手な絵を描き続けるとしても、昔の下手な絵は、今後にマイナスを与えるだけではないのか。
3、「いつか、この絵にも人に見て貰う時期が来るかも知れない」なんて幻想するのは、悪魔のささやきに過ぎないし、未練に過ぎないのではないか。古い賞味期限切れの作品を残しておくことは、無意味な過去への執着に違いない。過去の作品の愛玩なんて、精神の停滞と云うヘドロに包まっているだけのことではないか。過去の作品群の残照は、結局今の自分への儚い見栄ではないか。
4、そこで、取敢えず、10数枚の過去の作品を庭に並べてみた。うーん。今後絵を描き続けても、多分これらの作品を大きく超えて上手くなることなんて、まずあるまいとも思ったが。
5、しかし、大事なことは、こんな古い作品とは、今の自分と生きた関係にはない。もう過去の作品は自分にとって、もはや信頼はない。
6、さて、最も、重要なのは「自分軸」であり、時間軸は「今」である。そういう観点に立つと、古い作品は「捨てない損失」を生み出していないか。
・拙い構図、洗練されない色使い、拙い技法の作品を残して置くなんて下手な技術を引きずるだけなんだ。
・過去の作品は、自分の今にとって無意味どころか、害ある作品ではなかろうか。等々。
7、そこで、こういう思いを秘めて、過去の作品への執着を断ち切るために、美術学校で今尊敬する先生の所へ9枚持参して、意見を求めた。(結局、残念ながら、煩悩が立ちはだかってこの内2枚だけ残すことになった)
8、いよいよ、「アートビン」で、マイケル・ランディに指定された日時に、この7枚を持参して7Mの高い梯子の上から力強く投げ入れた。このリアリティには確かに手ごたえがあった。
偶々そこで、知人と偶然に遭遇したので、写真を撮って貰った。後で見ると、結構楽しそうな顔をしていた。それは過去の作品への哀惜より、これからの画業への期待に気持ちを委ねていたかもしれない。
9、これからは、ぜひとも過去の作品の廃却基準のバーをなるべく低くして、どんどん捨てようと心に決めた。
一方、これからの画業では、過去の作品を捨てようとする自分に負けないように、別の自分がぜひ残して置きたい作品を描くことに努力するべきだなとも思った。
10、後日、「アートビン」では7枚の絵とともに撮影された自分の写真が、展覧会終了後に「ヨコハマ・トリエンナーレ」として、SNSで世界に発信された。こんな経験も二度とあるまい。

余白 ふと、中国の名著「菜根譚」の一節に中高年頑張れという名句があったことを、思い出した。
「日既に暮れて、而もなお烟霞絢爛たり。歳将に晩れんとして、而も更に橙橘芳馨たり。
故に末路晩年は、君子更に宜しく精神百倍すべし」とある。
意味は「日が既に暮れても、なお夕映えは美しく輝いているし、歳の暮に当たっても、橙橘のたぐいは一段とよい香を放っているではないか。そこで、晩年に際しては、君子たるもの、一段と精神を振るい立たせて最後を飾るがよい」であるらしい。

ふと、青空を眺めた。秋の庭園の公孫樹が美しい静かな午後のことだった。以上。M N