受験生の指導は何度経験してもハラハラドキドキするものですが、今年は歯痒い生徒が多くてヤキモキしています。
もし皆さんが「ソフトに優しく接して合格する可能性が少なくなるのと、合格する可能性を上げる為に厳しく指導されるのと、どちらか選べ」と言われたら、なんと答えるでしょうか?
いや、お答え聞く前に、私がその質問を投げかけることは皆無でしょうね。
優しくすれば付け上がり、厳しくすればふてくされ、甘い言葉で勘違いし、叱り付ければへこたれて休む。
なんて甘ちゃん、社会人にはそういないでしょうから。
「厳しくされると実力が出ないので、可能性低くなっても構わないから優しくして下さい。休んでも提出期限守れなくてなくても、何も言わないで下さい。」なんて平然と言われると、ポリシーが揺らいでしまいます。そう言われたって受からせてやらなきゃいけないなんて無理難題です。
ただ今この言葉により、ドS小原・田中、ため息交じりに軌道修正中…
で、そんな辛い毎日の中で我々にご褒美をくれるのが、ホープ珠乃ちゃん!
このデッサンは「霧吹き・ハサミ・ストライプの布を自由に構成して1時間30分で鉛筆デッサンしなさい。」という課題。中学生でここまで描ければ文句ない、とは思いますが欲張って「全てに同じ力を込めて描き過ぎてる。時々冷静に自分の絵を見つめ、抜いた方がいいところは描かないのではなく、一度描いてから消す。」と難しい指示を出すと「つい熱くなり過ぎて、いっぱい描きたくなっちゃう。楽しいからって夢中になりすぎちゃ危険ですね!」と元気に爽やかな返事をくれました。癒されます。
と、そんなアメと鞭な今日この頃…
普通は先生がそれを与える役目のはずなのに、最近逆なんだもんな…
と結局愚痴で終わってしまったオバラでした。

Unknown
オバラ先生、お誕生日おめでとうござます!
この公の場で祝福するのもどーかなあ、と思いましたが、いいでしょ?許してください。火曜日先生の当番の日で、22日、ちょうどお誕生日、と思ってUPされるのを待っていました。
愚痴で終わったお誕生日ですか。あらあら。
戦う相手は、生徒でも先生でもなく、大学の試験のはずなのにね。なかなか素直になれないのはお互い様ですね、どうやら。
私の高校時代を思い返すと、勉強って「やらされてる感」が付きまとっていたなあ。親からだったり、学校からだったり、社会からだったり。頭ん中に詰め込まなくちゃならないことがたくさんあって、うんざりでした。詰め込み教育の残党です。
「何も言わないでください。」全くその通り。高校時代の気分ってそんなもんですよ。拡大解釈すれば、親、学校、社会は、自分たちに対して何も言ってくるな、と。
オバラ先生、田中先生、何も言わずに、先生たちがアトリエでガシガシ絵を描いていたらどうですか?背中を見せるんですよ(背中の刺青です!)。日本の修行道は、弟子が師匠の技を横で見て盗んでいく。物を言うのではなく、姿を見せるんですよ。「こういうことだ!」という姿。
ああ言えばこう言う。切っ先向ければ、かわされる。ならば、無言のうちに背中で教えるしかないじゃないですか!
それでついて来ない生徒がいれば、切り捨てましょう。真贋の見極めです。
ohtaさんアドバイスありがとうございます。
ohtaさんアドバイスありがとうございます。
しかし何度一緒に描いてやっても「先生だから上手いの当たり前じゃん。」なので、もう辞めました。
何の役に立つかわからない勉強をさせられるのとは違います。
「嫌いな勉強しなくていいだけでなく、ずっと大好きな絵を描いていていい」んです。
そんな恵まれた受験生が甘えてたら罰が当たると思うので「お前が落ちても私は痛くも痒くもない。描きたくなければ描かなければいい。」とハッパ掛けていましたが、もう優しくするしかない。
罰を当ててくれるのは将来の社会に任せ、そういう子は当たり障りなくほどほど持ち上げて、『描く気になって頂く』『お描き頂ける』よう頑張ります。
新人教育する友人が『ゆとり世代は、こちらが頭を下げて働いて頂かなきゃいけない』と嘆いていたのが今わかりました。自分がそういう人間作りに加担する羽目になるなんて…無念です。